2026年9月の月報|ちいかわで考えた、正義と正義の戦い
『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』を観た。
感想を一言にするなら、正義と正義の戦い。
それぞれに守りたいものや譲れない理由があって、その正しさがぶつかる。9月の月報は、この映画の話を残しておく。

画像:映画公式サイトより。©ナガノ / 2026「映画ちいかわ」製作委員会
誰の側から見るか
物語は、島への招待をきっかけに動き出す。ちいかわたちは島で歓迎され、楽しい時間を過ごす。そこへ、巨大なセイレーンが島民を連れ去っているという話が入り、討伐計画に巻き込まれていく。公式のあらすじ
島民の側から見れば、連れ去られる仲間を助けたい。島で安心して暮らしたい。そのためにセイレーンを止めようとするのは、理解できる。
ただ、相手にも相手の事情がある。
こちらからは脅威に見える行動にも、向こう側では理由がある。何を守ろうとしているのか。何が許せないのか。そこまで考えると、討伐する側の視点だけでは、この争いを捉えきれない。
自分がこの映画を「正義と正義の戦い」と捉えたのは、そういうところだ。
理由が分かることと、許せること
相手の理由が分かったからといって、傷つけられる側がそれを受け入れられるとは限らない。
誰かを大切にしている。その誰かのために動く。そこまでは共感できても、その行動で別の誰かが傷つくなら、話は変わってくる。
「大切なものを守りたい」は、両方の側にあり得る言葉だ。けれど、守り方まで同じように認められるわけではない。
だから、正義と正義がぶつかるという見方は、どちらも悪くないという結論にはつながらない。事情を理解することと、行動を許すことは分けて考える必要がある。
むしろ、相手にも理由があると分かったところから、判断が難しくなる。こちらが守りたいものを守ったあと、向こうには何が残るのか。
勝った側の話だけで終わらせない
映画について書こうとして、最初に出てきた言葉が「正義と正義の戦い」だった。
どちらかを倒して勝敗がついても、それだけで双方の事情が片づくわけではない。自分の側からは解決に見えても、相手の側には失ったものが残るかもしれない。
自分が正しいと思うときほど、相手から何が見えているかを考えたい。そして、相手の事情を知ったうえで、それでも止めるべき行動があることも忘れたくない。
今回の月報に残しておくのは、この二つだ。
『ちいかわ』の映画から、こんな話を書くことになった。
観た映画
- 作品名:映画ちいかわ 人魚の島のひみつ
- 原作・脚本:ナガノ
- 監督:及川啓
- 公式サイト:映画ちいかわ 人魚の島のひみつ
作品情報とあらすじは公式サイトを参照。「正義と正義の戦い」は、自分の鑑賞後の捉え方です。